■Senpai Inkos  おもいでのインコたち

 

 

 1987年頃 我が家に最初にやってきたインコ 「ぴーちゃん」(オス) オパーリンコバルト

 私の母の知り合いの家で生まれた。 ぴーちゃんは、生後間もなく親鳥に育児放棄されて、

 人間が育てなくてはならなくなり母の知り合いに頼まれて、何色かもわからない状態で

 我が家にやってきた。

 インコを育てた経験がまったくなかったため、どきどきはらはらしながら育てていたことを思い出す。

 人に懐き、差し出した手に乗って、言葉を教えたら覚えてしゃべってくれるという、

 インコの素晴らしい能力を最初に私に教えてくれた子です。

 「はとぽっぽ」のスペシャリストで、最初から最後まできちんと歌ってくれました。

 それに小さな大横綱「千代の富士」が活躍していた頃だったので、「チーヨーノフジ チーヨーノフジ」と

 独特の節回しでしゃべっていました。

 父に一番なついていたのですが、父の不注意で逃がしてしまい、探し回った結果、道路で何者かに轢かれて

 息絶えていたのを私が見つけました。2年と少しの短い生涯でした。写真も残ってなくてごめんね。

 道路で人目も構わず号泣したのは、大人になって初めてだったとおもう。たぶん 



Motto Kiiko

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1989年頃 ペットショップから連れて帰った子。 (オス) オパーリンライトグリーン 

 たしか、礼宮さま(秋篠宮様)ときこさまご成婚に沸いていたころで、

 母が「オスだけど頭が黄色いからきこちゃんにしよう。」と言って、最初は「きこちゃん」と呼んでいた。

 しかし 良く言えば「野性味あふれる」 悪く言えば「暴れん坊」だった。

 連れて帰った翌日、母に噛みつき流血騒ぎを起こしてしまい「ちゃん」がとれて「きいこ」になってしまった。

 その後、発情するようになると一日に何回も人間の手、足の指、どこででも誰がいてもおしりを

 振りまくってました。(+吐き戻し付き) それをやめさせようとした人間は血が出るほど噛まれていた。

 きいこがカゴから出ている時は、いつ噛み付いてくるかと緊張していた。(←だったら出すなよ~)

 人間に噛み付くのが趣味のようなあまりの暴君ぶりに手乗りはあきらめていたのだが、

 父が手を噛まれながらも手乗りに鍛え?顔を噛まれながらも(←涙がちょちょぎれます)

 「はとぽっぽ」と「どんぐりころころ」を教えました。

 こちらの気持ちが通じたのか(根負け?)一応覚えてくれた。

 途切れながらも歌ってくれていたが、どういう訳かコーフンして白目をむきながら歌っていたので、

 ちょっとコワかった。

 歌っている時はすごくコーフンしているので、歌の途中急に噛み付いてくることがあり

 歌っている時は、要注意だった。

 カゴから出すと何時間でもカゴに帰らず、目を離したすきに鉢植えのコチョウランの花がぜんぶかじられて

 下に落とされていたこともあった。 私の持ち帰り仕事の資料の端をかじってギザギザにしてくれたこともある。

 しまいには「ヤンキーコ」とか「キー坊」と呼ばれていた。

 うどんを良く食べる鳥で、「さすが讃岐の鳥だわー」と感心していたのだが、それはとんでもないことだった

 というのがあとになってわかり、(そのう炎や腫瘍ができる原因になります。)

 あのころの私は無知な世話係だったと深く反省している。

 うちにきて7年目のある日、父が放鳥してかごに入れるのを忘れていたところ、

 それを知らなかった母が玄関を開けたとたんに母の頭をけとばして家出。(←もちろん 人間のせいですよね。) 

 しばらく探しつづけたが、とうとう見つからなかった。

 うちで世話したインコたちの中でいちばん怖いインコだったが、体が丈夫で健康管理の点では、こちらは

 ほとんど気を遣わなかったのだけれど、元気でいてくれた。

 最後まで世話できなかったことが、とってもとっても悔やまれます。



 1996年12月 2羽のインコを迎えたうちの1羽。 「そら」(たぶんオス)は美しい羽色のオパーリンレインボー。

 すごく寒がりの子でした。香川ではインコが寒がるなんて考えたこともなかったため、

 暖房を入れるのが遅れてしまい弱ってしまいました。

 病院につれていったり薬を飲ませたりいろいろ手をつくしましたが、楽しい思い出が作れないまま

 2ヵ月後にこの世を去りました。

 しろりーが使っていたひよこ電球は、この子に買ったものです。

 しろりーは、そらと同じ体質だったと思います。

 しろりーはそらよりは長生きしたので、 この子の経験が少しはしろりーに役に立ったのでは

 ないかと思います。 



 1996年12月 2羽のインコを迎えたうちの1羽。 「しろ」は、白ハルクイン 翼にほとんど斑紋がみられない

 タイプはミヤコセキセイと呼ぶひともいらっしゃるようです。

 おなかにへそのように一枚、おしりの横に蒙古斑のように2枚ブルーの羽がありました。

 「そら」といっしょにペットショップからやってきました。

 うちへきた当初のしろは落ち着きがなくて、えさを食べていてもすぐに飽きてすぐどこかへいってました。

 幼鳥の頃タンスの後ろが好きで、いなくなったと思えばだいたいタンスの後ろを見れば発見できました。

 でもかなり奥のほうで隠れているので、タンスを動かさなければ手が届かない。

 一日に何回もタンスの移動をしなければならなくなって、たんすのすきまに詰め物をしたのを思い出します。

 成鳥になってからはしなくなりましたけどね。

 この子も手乗りのおしゃべりインコです。

 「はとぽっぽ」と「どんぐりころころ」も一応覚えてくれて、まぜこねて歌って?くれました。(笑)

 とっても元気な子だったのですが、なぜか飛ぶのがへたな子でした。

 そのかわり足がすごく発達してました。

 

 あと少しで5歳になるはずだった2001年の10月、現場を見たわけではないのですが、

 夜、カゴの中で何かに驚き、あばれたときに頭から落下してしまったらしいです。

 病院に行ったのだけれど脳に障害がおこっていて、手のほどこしようがなかったらしい。

 運動能力は著しく低下してまっすぐ歩けなくなっていました。でもなぜか食欲だけはあり、

 なくなる30分くらい前まで、よく食べていました。

 すごく元気だったはずの子が急に亡くなってしまうなんて、本当に信じられなかった。

 

 しろは2001年のインターネット博覧会の動物王国のHPで紹介させてもらいました。

 この子がきっかけで知り合うことができた方がたくさんいらっしゃいます。 


 

 

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